あとがき


A5判型の白いノートは、気が付いたらもう20数年も使ってきたことになる。
というと、このノートに特別拘ってきたように思われるかもしれないが、そうでもない。
プロジェクトによって、もっと大きなスケッチブックを使ったり、バラバラのケント紙であったり、あるいは長さの自由なトレーシング・ペーパーだったりする。そのあたりは気儘なほうだと思う。だから金刀比羅宮に関するエスキースも、この白いノート以外に、トレペに色鉛筆やコンテで描いた大きなスケッチが、少なく見ても百枚以上は残されているくらいだ。
とはいうものの、このノートだけが長年に渡り継続的に使われてきたのは、昔、誰かにもらった革製の、とても使いやすいノートカバーのせいなのである。それにピッタリ入る罫線のないノートを探したら、ホワイトノートを売っていたので中身だけ差し替えて使い始めたというわけだ。
以後、エスキースというより、むしろ打ち合わせの記録や覚え書きのために持ち歩いているのだが、その余白に、自然とドローイングを描いてしまう。そして金刀比羅宮の場合には、特にそれが頻繁だったようだ。だからこの期間は、ほかのときよりもスケッチがかなり多くなった。
金刀比羅宮の設計から竣工にかけてほぼ4冊を使ったが、これを全部、判型も中身もそのままで本にしたいと言ったのはアセテートの中谷礼仁さんである。
最初は、うーんそれはどうかな、と思った。だいたいそんなことは考えたこともなかったし、だからこそ極めて私的に使ってきたものであったから、うれしいというより恥ずかしい気がしたのだ。わけのわからないメモや言葉もある。漢字を知らないこともバレる。それにヤバイこともあちこちに書いているし。
でもとにかく預けなさい、という中谷さんの熱意に負けた。それから、しばらくして送られて来た分厚い塊のようなデモ版が、私を驚かせ、一挙に気持ちを変えさせたのである。その驚きを一言で言うなら、編集の力は大きい、ということだ。
それを叩き台にして、さらに何度かデモ版、というか模型のようなものを作り替え、また明らかに差し障りのあるページや文言を、最小限ではあるが削除し、いややっぱり入れよう、とかしながら遂に出来上がったものがこの書物なのである。
そんないきさつであったから、中谷さんがいなければこの本は100パーセント存在していない。編集の労や適切なアドバイス、それにかっこいい装丁も含めて、こころから感謝申し上げたい。

鈴木了二


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