1902東京・浅草に生まれる。
1918 職工徒弟学校卒業、清水組(後の清水建設)定夫となる。
1920 逓信省経理局営繕課の製図工となる。
1923 創宇社建築会を結成。社会主義的建設方法を模索。
1924内務省帝都復興局橋梁課の嘱託技師、日本電力の嘱託技師となる。
1927石本建築事務所主任技師となる。
1930ロシア経由で渡欧。
1931グロピウスアトリエに在籍、ベルリン工科大学大学院に学ぶ。
1932ヒトラーに国外追放されたグロピウスと共に英国に渡り、その後帰国。
1934 山口文象建築設計事務所を設立。
1953RIA建築総合研究所を三輪正弘、植田一豊とともに設立。集団設計方法と組織原理を模索。組織設計事務所のあるべき姿を構築した。
(1964渡辺豊和RIAに入所)
1966キリスト教の洗礼を受ける。
1978永眠。(享年76才)
主な建築作品に、「黒部川第二発電所(1938)」「自邸(1940)」「久ケ原の教会(1950)」「新制作座(1963)」など多数。 |
1941北海道釧路市生まれ。
1965神戸大学工学部建築学科卒業。神戸大学に勤務し、毛綱モン太として設計活動を始める。
(1969向井正也先生の紹介で渡辺豊和と知り合う)
1972発表の反住器をはじめ、日本の近代住宅を根底的に問い直した、革命的作品群を輩出。また、評論・エッセイ等を多数発表。
1976東京に移り毛綱毅曠建築事務所を設立。
2001永眠。(享年59才)
主な建築作品に、「反住器(1972)」「陰陽の間(1980)」「屈斜路コタンアイヌ民俗資料館(1982)」「釧路市立博物館(1984)」「釧路市湿原展望資料館(1984)」「釧路市立東中学校 1986」「釧路キャッスルホテル(1987)」「釧路フィッシャーマンズワーフ(1989)」など。 |