略歴

ビリー・クルーヴァー(Billy Kluver, 1927-2004)

1927年モナコ生まれ。スウェーデンのストックホルム王立工科大学で電子工学の学位を取得。1954年、ノーベル賞をねらえるほど優秀な科学者としてスウェーデンから渡米。バークレイのカリフォルニア大学で電子工学を専攻。1958年、ニュージャージー州マリーヒルのベル電話研究所に入社。エンジニアとしてレーザーのノイズ計測器をつくったり、電界強度と磁気強度の比較研究を行ったりした。1960年代半ばに結成したE.A.T.(Experiments in Art and Technology)のボスとして、芸術分野と科学技術分野における個人レベルでの共同作業を可能にするネットワークを確立。

彼の協力したアーティストは数知れない。ジャン・ティンゲリーの伝説的な作品「ニューヨーク賛歌」(1960年)において、自己破壊する機械のプログラミングを担当して以降、イヴォンヌ・レイナーのダンス「私の身体の家で」(1964年)、ロバート・ラウシェンバーグの「オラクル」(1965年)、ジャスパー・ジョーンズ「フィールド・ペインティング」(1963−1964年)、アンディー・ウォーホル「銀の雲」(1966年)など、世界のトップ・アーティストらの発表する作品に、技術アドヴァイザーの立場から次々と貢献。

1989年には、妻ジュリー・マーティンと協力して、浩瀚なカタログ『キキのパリ』を出版。11年にわたる調査の成果として結実したこの本では、1900年から1930年までの文化的中心地モンパルナスにおける芸術家コミュニティーの実像が、圧倒的に豊富な資料や証言を通して再構成されている。また1993年には『ピカソと過ごしたある日の午後』を出版。一見無関係にしか見えない24枚の写真が、実はすべて、1916年8月12日の午後、ジャン・コクトーによって撮影されたものであることを証明した。被写体の影の形から、写真撮影の時間帯を割り出すという、科学者としての知見なしにはあり得ない離れ業をやってのけるとともに、膨大な文献調査に裏打ちされたアーカイヴィストとしての面目も一新した。

ロバート・ゼメキス監督のSF映画『バック・トゥー・ザ・フューチャー』シリーズに登場するマッド・サイエンティスト「ドク」のモデルとされる。



田口卓臣(たぐち・たくみ)

1973年生まれ。18世紀フランス思想研究。劇団『Next One』主宰、文芸総合誌『Sturm』『砂袋』同人・編集、ポール・ヴァレリー大学博士課程、東京大学人文社会系研究科博士課程を経て、現在、城西国際大学非常勤講師、RAM + Moduleサイト編集長。主な論文に「雄弁の臨界、法の必要性 ―― ディドロ『ある父とその子どもたちの対話』研究」、「雄弁家は「後世」から呼びかける ――ディドロとカラス事件」、「ディドロ・ダランベール『百科全書』の対抗運動」、"Poetica di produzione per ipermetro: appunti su Masaoka Shiki (「正岡子規、字余りの創作学」のイタリア語訳版)" 。共編著に『Rumah Panggung, Perahu di Kota 高床の家 都市の舟』(アセテート出版)。



挿画 ミミ・グロス(Mimi Gross)

画家、彫刻家、舞台美術・衣装デザイナー。1969年から現在まで、屋内外での展覧会やパブリック・アート作品を手がけてきた。1993年には、銀座のINAXギャラリーで展覧会を開催。グラナリー・ブックス出版から"Some of These Daze"を刊行予定。詩:チャールズ・バーンスタイン。(9/11とそれ以降の現場で描いた)ドローイング:ミミ・グロス。ニューヨークのサランダーオレイリー画廊専属。


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